ドメーヌの紹介
ヒューゲル家 アルザス葡萄栽培の開拓者
 
ヒューゲル家 アルザス葡萄栽培の開拓者

1639年からワインづくりを始めたヒューゲル家の先祖達

アルザスでのヒューゲル家の最初の足跡は15世紀まで逆のぼることができます。
その2世紀後にハンス・ウルリッヒ・ヒューゲルがリクヴィールに定住しました。リクヴィールが30年戦争でひどく荒廃していたころです。
1639年、ハンスはその町の自由市民に選ばれ、まもなくきわめて強力な葡萄栽培組合の組織を作り、その責任を担うようになりました。
1672年、彼の息子がコーディエ街に立派な家をたて、その戸口に家紋を刻みました。この家紋は今日もヒューゲル社のロゴマークとして使用されています。 
18世紀から19世紀にかけて、ヒューゲル家はワインの醸造の面でも、又葡萄畑の管理に於いても素晴らしい名声を得る様になりました。
1902年、フレデリック・エミール・ヒューゲルは、ゴーディエ街からリクヴィールの中心に移り住みました。そこが今日に至るまで家族の事業の中心になっています。

アルザスの白ワインは世界で最も素晴らしいワインの一つ

アルザスで葡萄は2,000年以上前から栽培されていましたが繁栄を極めたのは中世紀になってからでした。アルザスのワインは当時ヨーロッパの交通のもっとも重要な動脈だったライン河に近いという地の利を得て、オランダ、ベルギー、スカンジナビア諸国、そしてイギリス等に輸出され、特に高く評価されていました。 

17世紀初頭まではアルザスはゲルマン神聖ローマ帝国の中で、最大のワイン産地であり、その品質は非常に高く評価されていました。30年戦争(1618-1648)、1789年のフランス革命、つまりナポレオン戦争、それから1870年のフランス・プロシャ戦争があって、アルザスの葡萄栽培は次第に下降線をたどりました。その上、20世紀の初頭に、フィロキセラや黴の病気が葡萄畑を襲い、全収穫を壊滅させ、状況は絶望的でした。

1918年以降、フレデリック・エミール・ヒューゲルを含む先見の明のある勇敢な何人かの栽培家達は、アルザスの葡萄栽培を生き残らせる為に立ち上がりました。まさにこのF.E.ヒューゲルこそがヒューゲル社の「品質優先」政策の主要な開拓者かつ指導者の一人であり、彼は高貴な葡萄品種からできる、高品質のワインの生産と促進にその全生涯を捧げました。彼の息子ジャンはこの仕事を引き継ぎ、アルザスのワインを世界の最高級白ワインの中に、文句なく位置づけるようにしたのです。

ジャンの3人の息子、ジョルジュ、ジャン、アンドレは同じコースを厳密にたどり、会社のなかでは同等の責任を分担しています。この3人は「ヴァンダンジュ・タルディヴ」と「セレクション・ドゥ・グラン・ノーブル」のために闘い、ついに公的登録の認可を勝ち取ったのです。

その次の世代、ジャン・フィリップ、マーク、エティエンヌは先祖達から引き継いだ主要の原則を忠実に実行しており、彼等には大きな使命が与えられています。それは、アルザスのワインを21世紀の偉大な白ワインにすることです。

 

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